我が師の恩・・・

私の泌尿器科医局時代の恩師である、岩手医大の理事長先生がご逝去されました

先日岩手県民会館で大学葬が行われましたが、私はどうしてもその日を休診にすることができず・・・

でも、大学葬の前に最後のお別れに伺いたくて

ご自宅に弔問させていただくために、6月末の日曜日に日帰りで盛岡に行ってきました


盛岡までは新千歳~花巻便が1日3往復

日帰りするためには早朝便、新千歳発7時25分に乗って

花巻までは50人乗りの小さなジェットで、盛岡までの連絡バスの方が広く感じるくらい



盛岡に着いたのがまだ早かったので、とりあえず駅の近くでモーニングコーヒーでも・・、と歩いていると


なんと医局の後輩に遭遇

その日は盛岡市医師会主催で、聖路加国際病院の日野原先生の講演会があり、彼は日野原先生をお迎えに行く途中でした


こんな所で、こんな時間に後輩に遭うなんて・・・、盛岡は狭い・・・



そして、2年ぶりの盛岡

朝も早かったので、駅からすぐにタクシーに乗らずに、開運橋を渡ってみました

画像


お天気の良い日はこの橋の上から岩手山が見えるけど、その日は曇り空で、残念ながら見えず・・・


でも、こうして散歩しながら、初めて盛岡に来た日の事や、泌尿器科医になった日の事、そして恩師との日々を思い出すと、自然に涙があふれて




岩手医大理事長の大堀先生は、私が入局した時の泌尿器科教授

もう30年も前のことで、当時は泌尿器科に女の医者はいらない、と言われていた時代


そんな頃に、当時の医局長も、教授も助教授も、医局のすべての先生が、私の入局を快く受けてくださって


両親に反対されていた私を心配して、教授と医局長が札幌まで説得に・・・、とまで言ってくださって

私が今こうして泌尿器科医でいられるのは、教授のお蔭なのです

しかも、私を娘のように可愛がってくださいました




とは言え、教授はとても厳しい方で、

学問だけではなく、礼儀作法、一般常識、そして何より、臨床医とは何か・・・、ということ・・・


臨床とは・・・、患者さんを診ること・・・

当たり前のことだけど、ともすれば医者は、患者さんではなくて画像データや検査結果ばかりを見てしまいがち



例えば、教授回診の会話

術後の患者さんのベッドサイドで、教授からの質問

「尿はちゃんと出てるの?食事は食べてるの?」

そこで、カルテや看護記録を見ながら

「昨日の尿量は○○○ml、今朝の食事は主食が○○、副食○○程度食べています」

などと答えようものなら、大目玉

「昨日のことを聞いてるんじゃない!! 今の尿量を聞いてるんだ!!  それと、食事を食べているところは自分で見たのか!!」


実は、教授は回診前に朝早く病棟に来てすべてのカルテはチェック済み


つまり、カルテに書かれていることではなくて、患者さんの話を自分の耳で聞いて、自分の目で患者さんを診て、手で触る・・・、ということが大切


そして、患者さんの状態が一番よくわかるのは、食事の時・・・、という教え

勤務医時代は、できるだけ食事時にも病棟回診をするように心がけていました




そういう基本をたたき込まれ・・・



そんな私は、診察の時間が長く・・・

いつも患者さんをお待たせしてしまいますが・・・

これも教授の教えで・・・




そんな緊張感は教授回診の時だけではなくて、医局生活でも・・・

突然教授から医局に抜き打ちで電話が入ることもあり・・・

 「は~い、泌尿器医局~」 なんてダラダラしながら出ようものなら・・・、

受話器の向こうでしばしの沈黙の後に 「誰だ・・・」 と教授の声が



いつもジーンズで自転車通勤していた私は、通勤の服装を叱られました

どこで患者さんが見ているか分からないから、医者らしい恰好をしなさい・・・、と

でも教授 それだけは無理でした・・・、当直の収入だけで生活していた無給医局員はお金がなかったので・・・



学会発表や論文は 「てにをは」 まで厳しくチェックされ・・・

でも、そのお蔭で正しい日本語を覚えることができました



学会と言えば、楽しい思い出も多く

私が学位論文を発表した東京での学会の打ち上げ・・・

四谷のブラジル料理「サッシ・ペレレ」で、ボサノバとサンバの演奏に、マラカス持って踊っていた教授


徳島の学会の後にみんなでレンタカーを借りて高知まで足をのばし・・・

祖谷の「かずら橋」の前で 足がすくんで渡れなかった私の後ろで、同じように震えていた教授

みんなが戻ってくるのを二人で待ちながら

「ただ渡って行って戻ってくるだけの橋なのに、何が面白いのかな・・・」

同感です・・・



医局旅行や忘年会、カラオケ、ゴルフコンペもご一緒しました

そんな時は、本当に面白くて優しいお父さん・・・という感じ・・・


ホントに思い出は数えきれないほどに・・・




私の入局時には学生部長だった先生が、病院長、医学部長、学長、そして理事長・・・、あっという間に雲の上の人になってしまったけれど

そうなるにふさわしく、気配りができて、とにかく良く気がつく方・・・

しかも筆まめで、年賀状も案内状も、宛名は全て直筆・・・、しかも達筆


私のような気が利かない凡人は、叱られている理由もわからないことが多かったけれど

この年になってなんとなくわかります、教授のおっしゃっていた事の意味が・・・

「言わなきゃわかんないのかなぁ・・・」 といつも呆れられていましたが

教授のその気持ち、言われなくても今は良くわかります




教授の教育のお蔭で、世間知らずのワガママ娘が、なんとかここまでたどり着くことができました



「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

まだまだ実ってもいない私ですが、その教えを忘れないで生きて行きたいと思います




そして、そんな厳しい教育も含めて、私にとっては教授ご夫妻は、盛岡の父と母のような存在

教授の奥様も、とても良くしてくださって

私が札幌に戻るときには、御夫妻で送別会に出席してくださって、記念にエルメスのスカーフをいただきました

その奥様も10年前、私が札幌に戻った3ヶ月後に急逝され・・・

私もご葬儀には参列させていただきました

きっと今頃は御夫婦仲良く、再会を喜んでいらっしゃるに違いありません




盛岡までの道すがら、いろんなことを思い出すと涙があふれ・・・



お宅に伺って、遺影を前にした時には、本当に涙が止まらなくなりました・・・

お焼香をした後、長男御夫妻から、亡くなる前の半年間の入院生活の様子や、亡くなられた時の状況などもお聞きして・・・


教授は最後まで生きる気力を持ち続けていらした・・、とのこと

一方で、御自分の戒名も決めて、少しずつ準備をしていた御様子

家族にはなるべく余計なことをさせないように・・・


そして、亡くなられた時刻も、御家族がみんな間に合って、大学関係者もちょうど仕事が終わる時間帯

最後まで気配りの方でした・・・


といっても、これだけ偉大な方ですから、大学葬を執り行うだけで大変なこと


そんな大変な時にご自宅に伺ったにもかかわらず、いろいろ思い出話にお付き合いくださった御家族に、お悔やみと感謝の気持ちを述べて・・・


御自宅を後に・・・



想い出話は尽きないけれど・・・

私にとって教授の命日は一生忘れることはできません

これからは、私は誕生日を迎えるたびに、教授の御恩を思い出すことでしょう・・・


師弟としての大きな絆・・・ですね・・・




そして、久しぶりの盛岡・・・

曇り空で、暑すぎもせず・・・、観光には最適のお天気


住んでいた頃には絶対にあり得なかった、「のんびり散歩」をしてみました・・・


つづく・・・





この記事へのコメント

太朗冠者
2012年07月11日 11:48
偉大で素敵な教授さんに指導されほのぼのさん良かったですね。
じゃじゃ麺のファンより
ほのぼの
2012年07月12日 00:10
太郎冠者さんこんばんは
直属の部下として仕事をしていた頃は、ホントにいつも厳しくて、医局員はみんな緊張状態
しかも仕事や学問以外のことまで常に厳しく、正直つらいなぁ・・・、と思ったことも多かったですね
でも、今となってはその教えが身にしみて、とても感謝しています
時々、自分も似たようなことを言ってるかも・・・、と思うことも・・・
嫌なことをはっきり言ってくれる人がいるということは、ありがたいことですね。

盛岡にいた頃はじゃじゃ麺を食べることは少なかったですが、懐かしいですね。
盛岡冷麺も美味しいですよ

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