親友ケイコちゃんのこと

親友のケイコちゃんが天国に召されました

子供の頃から腎臓病で養護学校に通い

18歳で血液透析を始め 45年間戦い続けました


彼女と知り合ったのは35年前

私は大学卒後4年目で

出張先の盛岡の病院で私が彼女の主治医になって

新米透析医だった私は 既にベテラン透析患者の域にいた彼女から沢山のことを教えてもらいました


学位論文仕上げのために一旦大学病院に戻った私は

その5年後にまた同じ病院に勤務して彼女の主治医となり

透析や移植の勉強をして 少しは主治医らしくなった私は

週3回の透析の度にベッドサイドで彼女に病気の説明や生活指導をしたり

合併症の手術をしたり

そして 同い年だった私たちはお互いの趣味の話もするようになり・・・

でも2年半の勤務の後、私はまた他の病院への転勤を命じられ・・・ 



3回目にその病院に勤務するようになったのはその5年後だったけど

その間主治医と患者じゃなくなった私たちは次第に友達になって



全く違う人生を歩いてきた二人の唯一の共通点と言えば趣味の音楽

透析廻診時に中学や高校の頃に聴いていていた洋楽の話をしたり・・・

いつも彼女がユーミンのコンサートのチケットとってくれて

1990年代後半のアリーナツアーにも二人で行きました

でも、お互いに意外だったのは郷ひろみさん

私は中学生の時に 北海道厚生年金会館でデビュー直前のひろみさん(フォーリーブスの前座)を観てからひろみさんの大ファン

それを誰にも言えずに隠し続けてきたけど

やっと同じ趣味の人に出会えて

ベッドサイドで「ひろみがね・・・」なんて・・、まるで親戚のおばさんの会話



でも、趣味が同じだからという理由だけで友達になれるわけもなく

私は彼女のことを一人の人間として尊敬できたから友達になれたのです

彼女はとても頭の良い人で

学校の勉強ができるとか そういう頭の良さではなくて

打てば響く、というか

感性と観察眼が鋭く 人を見る目もあって

話していてとても楽しい人でした


そして 子どもの頃から病気と闘ってきたので 自分を律することができる人

透析の食事療法はとても大変だけど

「自分がやりたいことをするために、少しでも元気でいたいから」

そう言って 厳しい食事療法を頑張っていました

いえ 頑張るというより それが既に彼女の日常

元気な人を羨やましいと思っても仕方ない

自分の置かれた境遇でいかに頑張るか・・・



そして 何より素晴らしいのがその行動力

私が3回目に彼女の主治医になって間もなくの頃

突然 ケイコちゃんから

「私 彼と結婚したいから仙台に行くことにした。透析の病院も決めてきたから紹介状を書いてください」

彼というのは同じ病院で透析をしていた年下の彼のこと

その彼も私の患者さんだったけど、腎臓移植を受けて透析を離脱

二人がお付き合いをしていることはなんとなく気づいていて

彼が仕事の関係で仙台に転勤になっていたことも知っていたけど

まさか追いかけていくなんて・・・

「結婚できるかどうかわからないし、押しかけても断られるかもしれないけど、とにかく行くわ」

「もしだめならまた戻ってくるから その時はよろしく」

そう言って彼女は仙台に旅立ちました

透析をしているといつ命が終わるかわからないから

やりたいことを先延ばしにはできない・・・

彼女はいつもそう言っていました

そしてその後まもなく 無事に夫婦になった二人は盛岡に戻り

彼女はまた私の患者さんになったのです



19年前に私が地元札幌に戻る時もご主人と一緒に送別会をしてくれて

その後も私が盛岡に行く度に一緒にランチやティータイム

いつも話はつきなくて

札幌と盛岡で長電話

彼女から病状の相談を受けてアドバイスをしたり

私は誰にも言えない愚痴をこぼしたり

ユーミンやひろみのコンサートの話で盛り上がり

彼女は私の恋バナを面白がったり

フラれた時は慰めてくれたり

時には辛口のコメントも

お互いに言いたいことを言い合える仲でした


多分私のプライベートライフを一番知っている人 



そんな彼女も透析の合併症には勝てず


腎不全は腎臓の機能が完全に廃絶してしまった状態

腎臓の働きは 尿を排泄することだけじゃなくて

貧血にならないように血液を作るホルモン(エリスロポエチン)や

食事のカルシウムを吸収するために必要なビタミンD

血圧を上げる物質のレニンなどを作っていて

腎臓は常に体内環境を正確に感知して 微調整をしている

つまり、私たちの不摂生の尻拭いをして なかったことにしてくれるのが腎臓

でも、それにも限界があります

そして 透析は老廃物をある程度除去することはできても 腎臓の代わりにはなりません

腎臓ほどの精密機械を作ることは不可能なのです



ケイコちゃんの場合は小児の腎臓病なので不摂生が原因ではないけれど

透析歴45年は 私が知っている患者さんでは最長記録

しかも45年前は透析の黎明期で

透析を始めても命が保障されるわけではなく

とにかく日々の透析を乗り切って

いかに生き続けるか・・・、それすらも困難な時代でした



そして彼女は 長期の透析で動脈硬化が進み 

骨も脆くなって 視力も低下していました

2010年に盛岡に行った時には元気に一緒にランチを食べたけれど

2013年の時は一人では歩けなくなってご主人に手を引かれて

近くに行かないと私の顔もわからないくらいの視力低下があり

2016年の時にはご主人に車椅子を押してもらって

その時はご主人の車で空港まで送ってくれて・・・

空港で撮った写真が最後の思い出になりました



最後に電話で話したのは去年の12月

いつものようにおしゃべりをしたけど

とても辛そうで・・・

「先生 私 食事も作れないし 一人で食べることも何もできなくて ただ生きてるだけだよ」


毎年私の誕生日には彼女からお祝いの電話が来てたけど

今年は初めて電話がなかった

今年の1月から動けなくなって入院していた と後で主治医から聞きました



ケイコちゃんの訃報は今の主治医からのメールで知って

もうケイコちゃんの声を聴くことができないと思うと無性に悲しくて寂しくて・・・

翌日 仕事を終えて自宅に戻ってスマホを見ると

ケイコちゃんの携帯からの着信履歴が・・・

まさか 私の気持ちが通じた???

と思ってすぐに折り返しをしたけど 呼び出し音が鳴り続けるだけで・・・

でも ほどなく再度着信が・・・

かけてくれたのはご主人でした

ケイコちゃんからの電話・・なんてことあるわけないですよね


いつも 私たちが会う時には彼が彼女を連れてきてくれて

私たちがお茶をしている間は別のところで時間をつぶして

時間が来ると迎えに来てくれました

私が札幌に戻った後は ご主人がひろみのコンサートに同伴してくれて

そのために彼もファンクラブに入ったそうです

そんなことも含めて私からもお礼を伝えました

今まで彼とゆっくり話すことはなかったけれど

思い出話ができてよかった・・・



結婚の時の「押しかけ女房」の話をすると

「そうなんです、本人が来る前に突然布団が送られてきて。寮生活だったので僕の母親の名前で送ってきたんですよ」

その話を聞いて思わず笑ってしまいました

まず 布団から押しかけていくなんて・・・、しかも怪しまれないようにお母さんの名前をつかうなんて・・・

ホントに頭が良い人ですね

その発想の面白さと必死な気持ちが彼に通じたのですね

ケイコちゃん さすがです

真っすぐな中にユーモアもあって

ただ直球だけではだめですね・・、勉強になります



そして

「ケイコは先生と電話で話しているときが本当に楽しそうでしたよ」と・・・

でも彼の話では、ここ数年は自分で携帯を持つことも、操作することもできなくて

いつも彼が電話をかけて 私が出たら携帯をテーブルの上に置いて

スピーカーで話ができる状態にして 部屋を出て行った とのことでした

その話を聞いて 私は何も言えずに涙が止まらなくなって・・・

そんなに苦労をして電話をかけてくれたのに

私は すぐに電話に出られないこともあったりして・・・



ケイコちゃんはいつも明るく話していたけど・・・

きっと私に気を使わせないようにしていたんだね

元主治医として そのくらい気づくべきだったね・・・

ホントにごめんね そして ありがとう



彼が電話をくれたおかげで

ケイコちゃんとの思い出がさらに深いものとなって

彼にもお礼を言えたのでホントに良かった

ケイコちゃんと結婚してくれて本当にありがとう

あなたと共に生きることが目標になって

あなたと過ごした23年間がケイコちゃんの人生を幸せなものに変えたのです

「僕も楽しかったです。やりきった、って感じですね」

彼の言葉に私も少し救われました




透析患者さんは身体の老化が速く進みます

多分ケイコちゃんの心は若いままで

身体は100歳を超えていたと思います

頭がしっかりしたまま 身体は寿命を全うしたのです

亡くなる4日前には 透析もできないほど血圧も下がり

2日前に 彼女の希望で一般病室から重症室に移り

家族と主治医に見守られながら

静かに眠るように旅立ちました

多分自分の最期の時がわかったのだと思います



ケイコちゃん 

あなたと知り合えて本当に良かった

透析患者さんの生の声をきいて勉強できたことも勿論だけど

医師になって男社会の中で

貴重な同性の友達ができて

一緒にコンサートにいったりおしゃべりしたり

普通の女子がすることを一緒にできて

愚痴を聞いてもらったおかげで 辛い仕事を乗り越えることもできて

本当にありがとね


これからは話を聞いてくれる人もいなくなったけど

私はもう少し頑張るね



ケイコちゃん

本当にお疲れさまでした

人生を投げ出さず

人生から逃げ出さず

あきらめずに

生き抜いたあなたを尊敬しています

あなたの親友になれて嬉しかった

私も楽しかったよ

ゆっくり休んでくださいね

ありがとう・・・


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この記事へのコメント

気仙のまっさん
2021年06月30日 10:39
いつも本当にありがとうございます
泣きながら、読ませて頂きました
御冥福を心から御祈り申し上げます
ほのぼの
2021年06月30日 23:22
気仙のまっさんさんコメントありがとうございます。
ケイコちゃんが旅立って10日が過ぎ、彼女の強さと優しさを忘れないようにブログに書いてみましたが、思い出しながら私も泣いてしまいました😢
彼女と話していると、自分の悩みなんてちっぽけなもののように思えて、自然と力が湧いてきました。
今頃は天国で、不自由な身体を脱ぎ捨てて、思いっきり走り回っているかもしれませんね。
*ちゃんやま*
2021年07月04日 03:40
ケイコさんとの長電話の話、少し覚えています⭐️友情って距離じゃないですよね、離れていても、そんなに連絡取り合っていなくても、ふとした時に元気かな~って思う親友、私にもいます⭐️
私のおばとワンちゃんも今年天国にいきました。
今のあたりまえの幸せをかみしめて、家族・友人との日々をかみしめて、美味しいものをかみしめて。
先生も、悲しいですが、チョコレートやお肉、焼きたての食パンを食べて元気だしてください⭐️

長くなりましたが、ケイコさんのご冥福をお祈りします。
太郎冠者
2021年07月04日 07:41
親友ケイコさんのご冥福をお祈りします。
ケイコさんの、旦那様優しい方で、心配り、気配り、ありステキなかたですね。
私も、見習いたいです。

ほのぼの
2021年07月06日 23:53
*ちゃんやま*さんコメントありがとうございます。
ケイコちゃんとの長電話の話のことや、私の好きな食べ物のことを憶えていてくれたのですね。
さすが、記憶力良いですね💓

そうです、距離じゃないんです。
今は携帯電話もあるので昔より近くなっていますが・・。
常にお互いを思いやる気持ちが友情なのだと思います。
いなくなってしまったと思うと悲しいので、今まで通り遠いところで元気で暮らしていると思うようにします。

命や健康が永遠ではない、ということをかみしめて、元気で生きていられることに感謝しなければならないですね。
ちゃんやまさんもご家族との毎日を大切にしてくださいね💕
ほのぼの
2021年07月07日 00:05
太郎冠者さんコメントありがとうございます。
ご主人はホントに優しいです。
お通夜の後に電話をかけてくれました。
彼も寂しくて、きっと思い出話をしたかったのでしょうね。
彼は多分、10歳くらい年下だったと思います。
若くて優しい人と結婚できたのは、ケイコちゃんが素敵な女性だった証です☆彡

愛情があれば優しくなれると思います。
太郎冠者さんも奥様を大切にしてくださいね💓